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東京高等裁判所 昭和61年(ネ)3293号 判決 1990年1月29日

控訴人 高橋猛

右訴訟代理人弁護士 久保田昭夫

同 有正二朗

被控訴人 川浪静吉

右訴訟代理人弁護士 川浪満和

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人は、控訴人に対し、金一四五三万円及び内金一三〇三万円に対する昭和六〇年三月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

4  仮執行の宣言。

二  控訴の趣旨に対する答弁

主文第一項と同旨。

第二当事者の主張

当事者双方の主張は、次のとおり訂正、付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決二丁表三行目の「被告は」から同五行目の末尾までを「被控訴人は、昭和五一年に司法書士の登録をし、昭和五七年当時、東京都板橋区上板橋所在の事務所において司法書士の業務を行っていたものである。」と改め、同裏三行目の「二〇〇〇万円」の前に「アイ建設において」を加え、同四行目の「名義変更」を「アイ建設への所有権移転登記の手続」と改め、同三丁表五行目の「本件不動産の」の次に「アイ建設への」を加え、同丁裏一行目から同二行目にかけて「利用して昭和五七年六月一六日、ほしいままにこれを被告に一括交付し」を「被控訴人に一括交付し、同年六月一六日、」と、同五行目から同六行目にかけての「、さらには同日」を「るとともに、」と、同四丁表八行目の「交渉したが」を「交渉したが、」とそれぞれ改め、同四丁裏二行目の「存続し、」の次に「かつ、金庫に対しては、民法九六条三項、一一〇条の法意により、同登記の無効を主張することができなかったため、」を加え、同五丁表六行目の「アイ建設から」を「控訴人がアイ建設により」と、同末行の「法八二」を「法八二号」とそれぞれ改め、同六丁表一行目の末尾に続けて「そして、このことは、司法書士会内部においても議論し、指摘されており、被控訴人においても、本件当時、司法書士会会報等により右議論、指摘がなされていることを知っていたものである。」を加え、同一一丁表六行目の「権利書(登記済書のこと)」を「権利証(登記済証のこと)」と改める。

二  控訴人の当審における追加主張

1  不動産登記法は、登記の真正を担保するため当事者出頭主義をとっており、これにより関係当事者の登記申請意思が確認され登記の真正が担保される構造をとっている。従って、登記申請意思の確認は、具体的に明確になされなくてはならず、代理人による申請においては、登記申請意思を具体的に明確に表示した委任状の作成が要求されるのである。司法書士を代理人として登記手続の申請をする場合には、司法書士は、専門家として、登記官において登記義務者自身が出頭した場合と同様に同人に登記申請意思があることを明確に判断できるような委任状を作成すべきである。従って、司法書士としては、この委任状の作成にあたっては、登記官が行う登記申請意思の確認の場合と同一の注意義務を負うものというべく、原則としては、登記義務者に直接当って確認し、代理人と称する者からの委任の場合には、登記義務者がその代理人に登記申請を委任する意思のあること、すなわち、その者が登記義務者に代って司法書士へ委任する権限を有することを具体的に明確にした委任状によって確認すべき注意義務がある。そうでないと、専門家たる司法書士の介在により、登記官による登記義務者の登記申請意思の確認の機会が事実上奪われてしまうことになるからである。

更に、右登記申請意思には、債権契約における当事者の物権変動意思が化体されているのであるから、司法書士としては、これを確認することにより依頼者である登記義務者の権利を保全する注意義務があるのである。

2  仮に司法書士としては、登記義務者本人の登記申請意思に疑いが生じる事情が存在する場合にのみ本人に当って登記申請意思ないし代理権限の有無を確認すれば足りるものと解したとしても、本件の場合には、次のとおり、控訴人本人に当って登記申請意思の有無を確認すべき注意義務があった。

(一) アイ建設は、土地建物の売買をも行う建設会社であり、所有権移転登記手続にどんな書類が必要であるかを知っていた。このような建設業者が登記権利者となる反面、登記義務者である一般個人をも代理して司法書士に登記の申請を依頼してきた場合には、登記手続に必要な書類が揃っているということだけで登記義務者の登記申請意思の存否を判断するのは極めて危険である。まして本件では、被控訴人が交付を受けた控訴人の委任状は、実印が押捺されているのみで、委任事項はもちろんのこと、控訴人の住所、署名も記載されていない白紙委任状であった。

(二) アイ建設が、被控訴人に対し、控訴人が登記権利者となる、第一勧銀の根抵当権設定登記の抹消登記手続についての必要書類を控訴人の代理人として交付したことも、そのことが、本件所有権移転登記手続についてもアイ建設が控訴人の代理権限を有することの根拠とはなり得ない。

本件の場合、前者の手続のための第一勧銀の委任状には、同一用紙に控訴人の住所、氏名も自署されており、しかも、その委任状には日付欄の行を利用してまで控訴人の署名がなされ、従って、その委任状は登記申請に使用することが一見して明白であったのに対し、後者の手続のためのアイ建設の委任状には控訴人の住所、氏名を自署するだけの空白があったにもかかわらず、控訴人の委任状は別の用紙となっており、従って、これらの委任状は必ずしも登記申請に使用されるとは限らない様式のものであった。

また、本件においては、下取り物件である本件不動産についての売買契約書(乙第五二号証)が存在したところ、右契約書の控訴人作成名義部分は偽造文書であった。そこで、被控訴人において、右契約書の売主署名欄に記載されている控訴人の住所の地番、署名の筆跡等を控訴人が真正に作成した他の文書の地番、筆跡等と照合して、慎重に検討していたとすれば、右の控訴人作成名義部分が偽造の疑いの強いものであることを当然に気付いていたはずであった。

(三) 被控訴人は、アイ建設からだけでなく、金庫からも登記申請の委任を受けていたが、金庫はアイ建設による根抵当権設定についてのみ関与しているにすぎないのであって、控訴人とはまったく関係がなかった。被控訴人は、本件不動産の所有権移転登記手続については、金庫が関与する以前に既にアイ建設から依頼されていたのであるから、被控訴人が金庫から登記申請の委任を受けていたということは控訴人の意思確認を不要とする根拠とはなり得ない。

(四) 一般に売買による不動産の所有権移転の場合には、代金受領と登記申請手続が同時になされており、従って、登記義務者は代金受領確保のために権利者と登記所に同行するのが通常である。しかるに、本件のごとく登記権利者であるアイ建設が登記申請準備のために被控訴人方に事前に訪ねており、しかも、権利を取得する立場にあって代金を手交する以外には特に立ち会いを必要としない登記権利者のアイ建設が立ち会っているのに、所有権移転登記によって大きな義務を負担する登記義務者の控訴人が立ち会わないということは極めて奇異である。

三  被控訴人の追加主張

1  控訴人の主張は、自ら危険に接近した控訴人自身の過失や軽率さを棚上げにして、一方的に、しかも、一般論として被控訴人の職務執行上の過失の有無を論難するものである。控訴人とアイ建設との間には、本件不動産につき下取り契約が成立しており、しかも、控訴人は、アイ建設の大高尚夫らを信用して何の顧慮もなく、本件登記申請に必要な権利証、委任状、印鑑証明書等一切の書類を任意に交付しているのである。従って、控訴人には、本件登記がなされたことにつき重大な過失があり、これにより受けた損害は自ら招いた危難といえる。

2  本件登記申請は、根抵当権設定登記の抹消登記、所有権移転登記、根抵当権設定登記の一連包括の登記申請事件であり、最近、司法書士はかかる一連包括の登記申請の依頼を受けることが多い。それは、住宅ローンの負担のある物件が買い替えのために下取りされ、その物件を担保に銀行から融資を受ける場合に多くなされるものであるが、このような場合、登記手続が一括処理されることによって、関係当事者間の取引が正確、迅速、適切に登記に反映され、それだけ取引の安全性が担保されるのである。かかる一連包括の登記申請事件では、それぞれの権利変動の要件は区々であっても、権利関係は互いに関連しており、相互に条件となっていることから、このような事件の登記申請を受任した司法書士としては、事件全体を総合的、有機的にみて、それらの均衡を図るものである。本件では、控訴人の所有権移転登記手続のための委任状には実印の押捺しかなかったが、第一勧銀との根抵当権設定登記の抹消登記手続については委任状があり、かつ、その委任状には、控訴人としては、登記権利者であって実印を押す必要がないのに、住所を書き、署名した上、実印をも押捺していることから、被控訴人は、控訴人に登記意思のあることは間違いがないと判断したものである。

3  登記申請の嘱託に際し、本人が立ち会わない事例は、平均的司法書士の場合、三、四割はあるといわれているが、そのような事例は、特に本件のように既に被担保債権が清算されており、下取り物件の関係で金銭授受などの実質関係がなく、登記手続だけが残されている場合において多くみられるのである。

第三証拠関係《省略》

理由

一  被控訴人が昭和五一年以降司法書士であり、昭和五七年当時東京都板橋区上板橋所在の事務所でその業務を行っていたこと、控訴人が昭和五七年五月から同年六月までの間にアイ建設に本件登記申請に必要な権利証、印鑑証明書、白紙委任状等の書類を交付したこと、アイ建設が控訴人から交付を受けた右書類を被控訴人に一括交付して、本件不動産につき昭和五七年六月一一日付売買を原因とする控訴人からアイ建設への所有権移転登記の申請を委任し、同月一六日、被控訴人をしてその旨の登記申請書類を作成させて右登記申請を行わしめるとともに、金庫を根抵当権者、アイ建設を債務者とし、極度額を金二二〇〇万円とする根抵当権設定登記申請をも行わしめたこと、アイ建設がその後倒産したこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。

二  右の争いのない事実に、《証拠省略》を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  控訴人は、昭和五七年四月一八日、アイ建設(代表取締役大高尚夫)との間で、アイ建設から東京都板橋区前野町一の八の五所在の宅地八二・五平方メートル及び同地上に新築中の住宅付工場を代金三八〇〇万円で購入する本件売買契約を締結したが、右代金のうち二〇〇〇万円については、控訴人が所有し、現に居住する本件不動産をアイ建設において同価額で下取りする方法で決済することにし、その所有権移転登記の手続は、アイ建設から購入する前記新築建物が完成して、控訴人がその引渡しを受けこれに入居することができた後に行う旨約束していた。

2  しかるに、アイ建設は、当時資金繰りが苦しかったため、控訴人に対する新築建物の完成引渡しよりも前に、本件不動産を利用して他から金融を得ようと企て、同年五月一一日、控訴人に対し、控訴人の売買の気持を確実なものにするために本件不動産の権利証を預からせてほしい旨申し入れて、その申入れを信用した控訴人からその権利証の交付を受け、更に、同年六月初旬には、控訴人のための工場設置の認可申請にどうしても必要である旨虚偽の説明をして、その説明を信じた控訴人から印鑑証明書(乙第一三号証)と白紙委任状(後記白紙部分補充前の乙第一二号証、委任者の氏名欄に控訴人が実印を押捺しただけで、控訴人の住所、氏名の記載はなく、受任者の氏名、委任事項も白紙であった。)各一通の交付を受けた。この間、控訴人は、アイ建設を信頼していたため、何らの事実調査もしないまま、アイ建設の右申入れないし説明が真実であると軽信して、右権利証、印鑑証明書、白紙委任状等をアイ建設に交付したものであり、それらの交付の際、アイ建設からは、預り証や念書等の書面も全く受領しなかった。

なお、当時本件不動産(但し、原判決添付別紙物件目録(以下、単に目録という。)記載(二)の3の土地は除く。)には、第一勧銀を根抵当権者とする根抵当権が設定されていたが、アイ建設としては、他から金融を得るためには右根抵当権設定登記を抹消しておく必要があったため、その被担保債務の残金約一三〇万円を控訴人に代わって支払い、そのころ、第一勧銀から右抹消登記申請のための白紙委任状(乙第一一号証)の交付を受け、かつ、控訴人からもこの委任状に署名、捺印を受けた。

そして、アイ建設は、これらの書類を利用して、本件不動産につき、まず右第一勧銀の根抵当権設定登記を抹消した上、控訴人からの自己への所有権移転登記手続をなし、本件不動産を共同担保として金庫から金二二〇〇万円の融資を受けることとし、金庫の承諾をも得て、同年六月九日、被控訴人に対し右目的にそう登記申請を依頼することにした。

3  そこで、被控訴人は、同月一〇日、本件不動産の登記簿謄本等を閲覧した上、同月一一日、金庫の板橋支店に赴き、同所でアイ建設と金庫との間の融資契約に立ち会い、その席上で、アイ建設及び金庫から、目録記載(一)の建物及び(二)の1、2の土地につき、①昭和五七年六月一一日解除を原因とする第一勧銀(登記簿上の名義は、株式会社第一銀行となっていた。)の根抵当権設定登記の抹消登記、目録記載(一)の建物及び(二)の1ないし3の土地につき、②同日売買を原因とする控訴人からアイ建設への所有権移転登記及び③同日設定を原因とし、金庫を根抵当権者、アイ建設を債務者とする極度額金二二〇〇万円の根抵当権設定登記、目録記載(一)の建物及び(二)の1、3の土地につき、④同日設定を原因とし、金庫を権利者とする条件付賃借権設定仮登記の各登記申請をするよう依頼され、これを承諾した。そして、被控訴人は、その際、右両者から本件不動産の権利証、右①の登記申請のための第一勧銀と控訴人連名の前記白紙委任状(乙第一一号証)、右②の登記申請のための控訴人の実印の押捺された前記白紙委任状(乙第一二号証)、控訴人の印鑑証明書(乙第一三号証)、右②ないし④の登記申請のためのアイ建設及び金庫の白紙委任状、印鑑証明書、資格証明書等等前記各登記申請を行うために必要な書類一切の交付を受けた。

4  被控訴人は、右各書類のうち、乙第一一号証の委任状には、受任者欄に自己の住所、記名印を押捺し、委任事項欄に根抵当権につき会社合併を原因とする株式会社第一銀行から第一勧銀への移転登記並びに根抵当権登記につき同月一一日解除を原因とする抹消登記と記載し、また、乙第一一号証の委任状には、委任者欄に控訴人の住所、氏名を補充し、受任者欄に被控訴人の住所、氏名印を押捺し、委任事項欄には、目録記載(一)の建物につき控訴人の住所が変更していたことによる所有権登記名義人更正登記及び本件不動産の全部につき所有権移転(持分全部移転)登記と記載し、更にアイ建設、金庫の各委任状も委任者欄以外はすべて白紙であったため、その白地部分に必要事項を記載して、翌一二日、東京法務局板橋出張所に赴き、前記①ないし④の各登記申請をした。しかし、株式会社第一銀行から第一勧銀への移転登記関係の書類が一部欠けていたため、被控訴人は、いったん右登記申請を全部取り下げ、必要書類を補充した上、同月一六日、再度本件登記申請を行い、これが受理されて、同日付で本件各登記が経由された。

5  被控訴人と金庫とは従前から取引があった上(但し、登記手続の受任は、本件が初めてであった。)、金庫のような金融機関が最終的に権利者となる登記手続においては、当該金融機関自身がその対象物件に関する権利関係の存否や登記義務者の登記意思の有無について相当慎重な事実調査をしているものと考えられたし、また、アイ建設の事務所は被控訴人の事務所の道路を隔てた向かい側にあって、昭和五七年一月以降、被控訴人は、商業登記簿上の役員変更登記及び不動産登記簿上の分筆登記の申請を数件依頼されたことがあったが、その間事故は一件もなかった。そして、本件でも登記申請のための必要書類がすべて備わっていたので、被控訴人は、本件登記申請の依頼に格別の疑問を持つことなく、これを承諾し、控訴人に当って本件登記意思の有無を直接確認することもせずに、本件登記申請をした。

6  ところが、アイ建設は、売買対象建物の建築を完成させることができないまま、同年六月末に事実上倒産した。そして、その際、アイ建設は、一〇億円程の負債を抱えていた。控訴人は、その直後に右倒産の事実を知り、直ちに本件不動産の登記簿謄本を取り寄せたところ、本件不動産が不当にもアイ建設名義に所有権移転登記されていることを知り、同年七月五日、アイ建設を相手方として東京地方裁判所に処分禁止の仮処分を申請し、同月六日、同仮処分決定を得、更に、同月二一日、アイ建設の債務不履行を理由として本件売買契約を解除した。

7  そして、控訴人は、昭和五九年一月二四日、アイ建設を被告として東京地方裁判所に前記所有権移転登記の抹消登記手続を求める訴訟を提起し、同年四月一三日、控訴人勝訴の判決を得た。しかし、金庫が経由した前記根抵当権設定登記は右仮処分の登記前になされていたため、これを直ちに抹消することができず、しかも、控訴人は、前記のとおり、アイ建設に対し、本件不動産の権利証、印鑑証明書、白紙委任状等の書類を任意に交付していたため、控訴人とアイ建設との間の前記約束について善意であった金庫に対しては、民法九六条三項、一〇九条、一一〇条等の法意から本件登記の無効を主張することができなかったため、控訴人は、金庫に対し右根抵当権設定登記の抹消登記手続を求めるに当り、昭和五九年八月八日、アイ建設に代って金庫に対し右根抵当権の被担保債務の残金一三〇三万四四二六円を支払うことを余儀なくされた。ところが、アイ建設は、前記のとおり倒産して、控訴人の右支払に基づく求償債務についての支払能力が全くなかったため、控訴人は、右同額の損害を受けるに至った。

なお、《証拠省略》中には、被控訴人は本件登記の申請前に控訴人宅に電話をかけ、控訴人の妻から控訴人の本件登記意思の存在を確認したとの供述があるが、その供述部分は、《証拠省略》に照らして、採用することができず、その他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  そこで、以上の事実関係を前提として、被控訴人の不法行為上の過失の有無につき判断する。

1  まず、控訴人は、司法書士が登記義務者の代理人と称する者から登記申請の依頼を受けたときには、原則として、その登記義務者本人に当って登記意思の有無及び代理人と称する者に対する授権の有無を確認する義務がある旨主張する。

そこで判断するに、登記が真正な権利関係を反映したものでなければならないことはいうまでもないところであり、従って、登記申請について当事者を代理し、その登記申請書類の作成を業とする司法書士としては、虚偽の登記を防止し、真正な登記の実現に努める職務上の義務があることは明らかである。しかし、他方において、司法書士は、取引の動的な安全を保護するため、嘱託人から依頼のあった登記申請を迅速に処理しなければならないという要請にも応えなければならない。そこで、右両者の要請の調和をはかる観点から、本件のごとく登記義務者の代理人と称する者からの登記申請の依頼を受けた場合には、司法書士としては、その代理人と称する者の言動、提出された書類の性格、形状、内容等に照らして、登記義務者本人の登記意思もしくはその代理人と称する者に対する授権の存在を疑うに足りる事情が認められる場合には、登記義務者本人に当るなどしてその確認をなすべき義務があるものというべく、反面、そのような事情が認められない場合には、右確認義務は存在しないものと解するのが相当である。

この点に関し、《証拠省略》によれば、被控訴人が所属する東京司法書士会は、昭和五六年五月一六日の総会において会員執務要綱を作成、決定しているが、その中で会員の執務の基本姿勢につき、「第六条 会員が登記事件等の受託をする際には、当事者の確認、申請意思の確認及び目的の確認に意を尽し、その真実性確保に努めなければならない。」、「第七条二項 嘱託人以外の者が白紙委任状を持参した場合には、嘱託人の意思を確認する等、特段の注意をしなければならない。」等と定めていること、被控訴人も昭和五七年当時東京司法書士会において右のような会員執務要綱が作成され、それに沿う指導がなされていることを知っていたことが認められる。また、証人小川照春の証言中には、古くから司法書士会の役員を歴任している小川自身も、代理人による登記申請の嘱託があった場合には、本人の意思確認を必ず行い、これができない限り依頼を断っており、司法書士会内部でも、そのように指導されている旨供述する部分が存在する。しかし、右会員執務要綱はその形式、性格に鑑み、司法書士会員としての心構えを説いたものにすぎないと解されるのみならず、右要綱に定められた当事者に対する「申請意思の確認」も、いかなる場合にも必ず当事者本人に直接確認しなければならないことまでを意味するものとは解しがたい。また、会員執務要綱に右のとおり定められているからといって、これに違反した行為があれば直ちに不法行為上の過失の存在が推認されるとまではいうことができない。更に、《証拠省略》によれば、右のような場合、必ず本人に当って意思確認をすべきかについては、司法書士会内部においても積極、消極の両論が並立し、その取扱が必ずしも確立していないことが窺われるから、右要綱の存在並びに証人小川照春の証言も、前記のとおり解することの妨げとはならないものというべきである。

なお、不動産登記法が当事者出頭主義をとっていることは、控訴人の主張するとおりであるが、その理由は、それにより登記の真正を担保しようとすることよりも、むしろ事務処理上の要請に基づくものと解せられるから、そのことが、直ちに司法書士における本人の意思確認義務の存否に影響を与えるものとは認められない。

2  そこで、次に、本件の場合、被控訴人がアイ建設から本件登記申請を受任した際に、登記義務者である控訴人本人の登記意思の存在ないし代理人であるアイ建設に対する授権の存在を疑うに足りる事情があったといえるかについて検討する。

前記認定の事実に、《証拠省略》を総合すれば、本件取引は、買主である控訴人の所有不動産の下取りを含む不動産の売買契約であり、それに伴う登記申請の嘱託も、下取りの対象物件となった本件不動産に設定された根抵当権設定登記の抹消登記とその所有権移転登記及び新たな貸付による債権を担保するための同不動産に対する根抵当権設定登記等という一連の登記申請の嘱託であって、被控訴人は、これらの嘱託を包括して受任したものであるから、このような場合、下取りの対象物件となった本件不動産に関する各登記については、最終の登記権利者(本件では金庫)と登記義務者(本件ではアイ建設)だけが登記申請の嘱託に立ち会うのが通常と解されるのであって、直接それらの登記により利益を得る立場にない控訴人本人が出頭しなかったからといって、格別、異とするに足りないこと、本件各登記申請に必要な書類は、すべてアイ建設と金庫において揃えており、アイ建設は控訴人のアイ建設に対する委任状こそ所持していなかったものの、本件登記申請に必要な控訴人の委任状には、いずれも印鑑証明書により確認され得る控訴人の実印が押捺されていたこと、そのうちの一通には委任事項及び控訴人の住所、氏名の記載がなかったものの、本件のような下取り物件の取引については、右のような白紙委任状の作成、利用も特に異常なものとはいえないこと、また、本件登記申請の嘱託は、アイ建設からだけでなく、金融機関たる金庫からの依頼でもあったところ、一般に金庫等の金融機関においては、担保物件に関する権利関係の存否や登記義務者の登記意思の有無についての事実調査を慎重に行うものと考えられており、被控訴人もその点に信頼を置いていたのであって、そのこと自体に根拠がないとはいえないこと、更に、被控訴人は、従前、金庫及びアイ建設との間に取引があり、特にアイ建設からは不動産登記等の嘱託をも数件受任していたところ、その間アイ建設は格別事故を起こしたこともなかったことが認められる。従って、これらの事実関係に照らして考察すれば、本件においては、被控訴人が控訴人の登記意思及びアイ建設に対する授権の存在に疑いを抱くべき特段の事情があったとは認めがたいというべきである。

なお、《証拠省略》を総合すれば、被控訴人が昭和五七年六月一一日にアイ建設及び金庫から前記二3記載の一件書類の交付を受けた際、その中に、控訴人とアイ建設間の本件不動産についての売買契約書(乙第五二号証)が存在したこと、同契約書は、アイ建設が売主欄の控訴人名義部分を偽造して作成したものであって、その住所欄には控訴人の当時の住所である板橋区相生町十一番七号とは異なる「十一―十四」という地番が記載されており、控訴人の氏の「高橋」も「髙橋」と誤記されていたし、その筆跡も控訴人の筆跡とは異なっていたこと、しかるに、被控訴人は、本件登記申請に際しては、右契約書の右のような点について、子細に検討しなかったことが認められる。しかしながら、《証拠省略》によれば、被控訴人は、本件登記申請の嘱託の際に、大高から、右契約書は、アイ建設が金庫から融資を受ける便宜上、下取りの契約関係を明確にするためにアイ建設において作成したものにすぎないと聞かされていたこと、そして、一般の登記実務においては、登記原因となるべき契約に関して作成された契約書自体を登記の原因証書として使用することは稀であったため、被控訴人も右契約書の記載を子細に検討しなかったものであることが認められるところ、登記実務に関する右の実情に照らせば、本件において、被控訴人が右契約書の内容を子細に検討しなかったからといって、これをもって直ちに被控訴人に不法行為上の過失があったと断ずることはできないというべきである。

3  のみならず、前記認定の事実関係からすれば、仮に控訴人が本件登記に起因して請求原因5で主張するとおりの損害を受けたとしても、それは控訴人自身の重大な過失によるものであったといわざるを得ない。すなわち、控訴人は、本件売買契約の締結に当り、アイ建設との間で、下取り物件である本件不動産の所有権移転登記手続は、アイ建設から購入する新築建物が完成し、控訴人がその引渡しを受けてこれに入居することができた後に行うという約束をしていたものであるところ、昭和五七年五月ないし同年六月初旬の当時においては、いまだ右新築建物は完成しておらず、従って、アイ建設がいつ右建物を完成してこれを控訴人に引き渡すことができるか不明であった。それにもかかわらず、控訴人は、アイ建設の甘言に乗り、何らの事実調査もしないまま、その申入れないし説明が真実であると軽信して、アイ建設に対し、本件不動産の権利証をはじめ、控訴人の印鑑証明書、白紙委任状等、本件登記申請に必要な書類を容易に交付した。その結果、それらの書類がアイ建設により悪用されて本件不動産に関する前記各登記が経由されるとともに、金庫に対しては、民法九六条三項、一〇九条、一一〇条等の法理から本件登記の無効を主張することができなくなり、そのために、右主張のとおりの損害を受けるに至ったものである。従って、右損害はいずれも控訴人自身の重大な過失によって生じたものであるといわなければならない。

4  以上のとおりであって、本件においては、控訴人が請求原因5で主張する損害の発生につき被控訴人に不法行為上の過失があったとは認められないから、その存在を前提とする控訴人の本件請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも理由がないというべきである。

よって、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 奥村長生 裁判官 前島勝三 富田善範)

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